Flashクリエイター 梅原 宗士(水玉製作所)様からのお祝いコメント

そういえばそう、十年前になる。

彼は「僕、バンドやってるんで」って顔で、アルバイトの面接に来た。
その頃は痩せていて、かっこ良かった。黒い服を着ていた。

まだ愛想笑いも畳み掛けるようなアピールトークも覚える前だったんだと思う、
その上、人見知りは今と変わらない。
ちょっと不機嫌そうに短い返事を重ねるばかりだった。

ショッピングモールの運営スタッフ募集をしたのは確か1998年の7月。
商用サイトが広まって日が浅い頃だから、実務経験者なんて採りようがない。
一方、「インターネットを楽しむ」ということは、
自分のサイトを持つことと同義だった時代だから、
20人以上の応募者を個人サイトの出来で選考することになる。

好きな音楽と映画と自己紹介と、お気に入りサイトへのリンク。
gifアニメとblinkがせわしなく点滅していて、レンタルBBSとアクセスカウンター。
blogなんてできるずっとずっと前、バナー広告でさえ目新しかった頃。

「こんばんわ。夜ですね。あなたは00000173人目のお客様です」。
How to本の作例そのままが当たり前だった。

そんな中で、田口君のサイトは強い欲望が透けて見えた。
確か、自曲のダウンロード販売を始める直前の頃だ。勢いがあった。

自分の曲とそのイメージ、世界観をアピールしようともがいていて、
サイト自体はオリジナリティに溢れると言ったら言い過ぎだけど、
本の作例の5ページ目と200ページ目の内容を無理やりくっつけて
なんとか形にしているような、そんな勢いがあった。

僕はその勢いが気に入った。

実はその仕事ではそこまでの作り込みは必要としていなかったんだけど、
ともかく、一緒に仕事をしたいと思った。

アルバイトの面接では、だから立場が逆転している気分だった。

仕事の内容に納得してもらえただろうか?
採用の連絡に、返事をもらえるだろうか?
なにか不愉快に思われなかっただろうか?
事務所はもっと片付けておけばよかった、と。

それから一週間後か、二週間後、一緒に仕事するようになって、僕は制作の指示をした。

いきなり仕事を任せるわけにもいかないけど、
こちらも作業があるからつききりで見てあげられない。
仕事を与えないままほっとくわけにもいかないから、自習がてらにサイトの
「404 Not Found」のページを作って貰うことにした。
間違ったURLを打ち込むと、サーバーが「指定のURLには何も無いよ」と
知らせるためのページだ。

サーバーの初期設定のままでは味気ないから、ちょっと作っておいて、と。
ミスのしようがない、簡単な作業だ。
彼はすぐに一生懸命作り始めた。

そして数日後、声をかけると、まだ作り途中だと言う。

単なるNotFoundのページに??
ショッピングモールのロゴでも乗せれば解決するんじゃないの??

不審に思って、その作り途中のページを見せてもらって、理解した。

彼は作品作りをしていたのだ。

存在しないページのURLをたたくと、Not Foundのページが開く。
真っ黒のページ。

サイトのキャッチフレーズが横に移動しながらフェードイン、そしてフェードアウト。
そのうち、音楽が鳴りだす。もちろんオリジナル。
また別なキャッチフレーズが暗闇の別な場所から出て来て、消える。

フェードインのタイミングも場所も適度にずらして、空間的な余韻をみせている。
蛍光色のキャッチフレーズをクリックするとその関連ページに飛ぶ。黙って見てるだけなら 、
5、6ページ、40秒くらい経つと自動的にサイトのトップページに転送する。

表現としては当時としても珍しかったわけではないが、意外すぎる場所にあるので、
狐につままれたような感覚が強く残る。それはサイトの案内ページ以上に、彼の作品だった。

もちろん僕は、作品を作れなどとは指示はしていない。音楽が確か300KBもあって、
読み込みに時間がかかった。ADSLどころか、ISDNでさえ普及率が低かった頃だ。
夜11時からのテレホタイムには、アクセスが集中するので、
理論値の数分の一の速度が出れば良い方だった。
感覚的には今の30メガくらいの重さだろうか。

制作指示に対する回答としては、最悪だ。
でも、僕は信じられないことをする彼にただただ驚き、
求められているものと自分の作品の切り分けとか言って否定する気にはなれなかった。
僕自身もプロとして甘かったんだと思う。でもともかく、
アルバイト選考時の彼のサイトの勢いを直に感じた瞬間だった。

それからの仕事は、まるでとんち合戦のように、
次々と相手の思ってないものを作る試合になった。

新しいカッコいいサイトを見つけたら、下手でもなんでも、真似してお互いに見せあった。
求められているギリギリの範囲は必ずクリアするようにしたので、お客さんも喜んでくれた。

数週間後のある日、社長が声をかけて来た。

「Not Foundのページ、面白いけど、重くないか?」

「でも、田口君はあれ以上音楽は縮められない、
 と言ってましたから、しばらくこのまま行きましょう」

「そ、そうか、、、」

この仕事が面白くてやめられなくなったのは、確かこの頃だったと思う。

水玉製作所
梅原 宗士