大阪お好み焼き屋「秀月」オーナー 山辺 秀雄様からのお祝いコメント

私、山辺秀雄と田口真行は高校時代からの友達でした。

高校3年生の時、僕と彼は同じクラスになり、僕は一番端の前から2番目。
そして、田口は 3列横で前から2番目。という微妙な位置関係にありました。

最初は目が合う程度の仲でした。

彼は、授業中ずっと机に向かい何かを真剣に考え、黙々と作業を繰り返しているのです。

しかし、それは授業をまじめに受けているのではなく、後で分かったのですが、
自分のサインのデザインをしきりに考えていた様です。
きっと田口はあの時から、自分がBIGになることだけを思い巡らせていたのでしょう・・・。

ある意味、田口はちょっと近寄り難く「オタク」気味だったのですが、
僕らのクラスには映画評論家志望・小説家志望・エロまんが志望・お笑い志望・
競馬のバクチ志望と多種多様な人種がいた為、
田口一人が目立つという訳ではありませんでした。

そんなある日、ある共通の友達がきっかけで話すようになり、突然「バンド組まない?」と言ってきたのです。 そして、カラオケ屋に連れて行かれ、昔流行っていたT-BOLANの「BYE FOR NOW」を歌わされました。
今、田口と仕事などでお付き合いのある方は存じているかとは思いますが、彼は昔から強引(GOING)でした。

結果はもちろん「合格!」でしたが、「田口とバンドを組むと仲が悪くなる」という噂があった為、
友達関係維持の為にもバンドを組む事はなしとしました。

僕が知っている田口の思い出の中で彼は2度脱皮をしているなと感じます。

まず最初の脱皮は、「イギリス留学」。
クラスの中で10名ほど行ったのですが、全員が全員「ダジャレ王」になって帰って来たのです。
良い様に言えば、アメリカンジョークですが決して面白いと言えるものではありませんでした。

家族はじめ、関係者の方々、時々発する田口のつまらないジョークの起源はイギリスにあるのです。 謹んで私から謝罪させて頂きます。

「つまらなくて、どーもすいません」

しかし、「オタクぎみ」だった彼にとっては色々な人達と楽しく?話す事が出来るようになった
「人間的な脱皮」だったと思います。

僕もまたこの頃から田口と急接近した事を覚えています。

そして、大転換期が・・・

   (この件は、あまりにもプライベートすぎる内容のため割愛させていただきます。)

・・・まさにあの時、田口に「運」が回って来た時でした。

これが彼の2度目の脱皮だったと確信します。
そして、そこから現在の彼の業績へ至るSUCCESS・STORYが始まるのです!

その後の事は、今、彼の周りにいる方々の方が詳しく存じ上げていると思います。

僕は彼が土の中で埋まっている時からの友人です。

あれから10数年お前は殻を破り、大地に根を張り、弦を伸ばし、見事、花を咲かせましたね
「開業10周年」 お前の活躍は、ここ関西まで届いています。

今後も皆の「灯台」として光輝いていって下さい。

お前のTMネットワーク(TAGUCHI・MASAYUKI NETWORK)が
日本中、世界中に張り巡る事を祈り、開業10周年の祝いの言と致します。

BY まだ、土の中にいる山辺秀雄より(誰か俺を外に出してくれー)

大阪お好み焼き屋「秀月」
山辺 秀雄